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特集記事
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【ランクル紀行】難波 毅

2015.05.08

世界のランクルからこんにちは

RC_D2X0022シンプソン砂漠の砂丘列を越えて進む。要所には道標が設置されている。サンドフラッグは対向車に対して自車の存在を知らせるのに有効だ。

####前文####
 「日本から愛車を船でオーストラリアに運んで大陸を走ってみたい」。3月中旬に3台の車を横浜から船に乗せて、4人の男たちが現在その旅の真っ最中だ。運んだ3台のうち2台がランドクルーザー。1980年モデルのBJ41Vと1988年モデルのHJ61Vだ。今回は旅の前半である「レッドセンター」編を現地から報告する。

####きっかけ####
 筆者は今から30年も前の1986年に当時の愛車だったBJ41Vをオーストラリア持ち込み半年間の取材旅行をしたことがある。この旅の様子を報告した雑誌を中学生の時に読んだのが今回の旅の主役の一人であるK君だ。彼と偶然知り合って以来「僕がオーストラリアへ車を運ぶ時はガイドとしてついてきてくださいね」と言われ続けてきた。

 まあ、口先半分かと高をくくっていたら、仲間を集めて全員が2カ月の休みを取ったという。「出発は4月1日です」と言われて、これは真剣な話だと再認識させられた。自分の経験を若い世代に伝えるのも必要だ。一行のガイド、コーディネーター、通訳兼なんでも係として同行することになり、さっそく船の手配から始めた。4月1日、一行は空路メルボルンに到着した。

####想定外####
 自分の車を海外で走らせるために、その国での通関の際に輸入関税を免除してもらえる「カルネ」という書類がある。カルネ通関をしないと完成車の輸入に制限をかけている国では一時輸入といえども高い関税をかけられることになる。

 メルボルンに到着した翌日さっそく税関・検疫へ出向く。カルネ通関のおかげで通関自体は15分ほどで済んだが、次の検疫がなかなか手ごわかった。まず、検疫検査はメールでの予約が必要で、それも当日はダメ。おりしも現地は翌日からイースターの4連休に入るとあって最短でも休暇明けの日でないと検査さえ受けられないことが分かった。

 連休中にメルボルンにいても仕方がないと、小さなレンタカーで有名観光地であるグレート・オーシャン・ドライブへ行くことにした。

 さて、休暇が明け予約の時間にメルボルン港のヤードに置かれた車両を検査した係官はエンジンルームから松の葉を見つけて「植物片が残っている」と一言。次の車両の車内から小さな木片を見つけ「ほら、ここにも」。結局、指定のクリーニング会社での車両清掃が済むまで引き取りは不可となった。オーストラリアの検疫は植物や動物の持ち込みに厳しい制限をかけている。いったいいつになったら愛車が引き取れるのか……。メンバーの表情は不安と不満でいっぱいだった。

 現地の友人の会社を通して手配したローダーで港から清掃の会社まで3往復、ほぼ一日がかりで車を移動させ検疫検査の手配も依頼する。うまくいけば翌日には車が自分の手に。祈るような気持ちでホテルに戻った。

 次の日、約束の時間まで待てずに昼過ぎに清掃の会社へ様子を伺いに行った一行は、担当者から「全部終わっているわよ。ええ、もちろん検疫検査もね」という一言に唖然。オーナーがいないのに検疫検査まで終わっているなんて。今一つ釈然としない気持ちも片隅に、車が引き取れたのだからと笑顔で旅の準備へと気持ちを入れ替えた。

 メルボルン到着から1週間、分からないことだらけの異国の地でなんとか自分の車を運転して公道を走ることができるようになった。4月8日朝メルボルンを出発、2カ月の旅が始まった。

####レッドセンター####
 オーストラリア大陸の中心部はその土の赤さから「レッドセンター」と呼ばれている。そこを見なければ始まらないということで一路北上する。南オーストラリア州のマーリーからウードナダッタ・トラックを走る。この全線ダートの道は開拓時代に海外とのコミュニケーションの役割を担った電信線を敷設した道でもあり、ダーウィンまでの大陸縦断鉄道計画の一部としてアリススプリングスへの鉄道が走っていたコースでもある。ダートといっても道幅は広く路面はフラット、ところどころに出現するコルゲーションを除けば快適な「ハイウエー」である。ローカルはここを時速100㎞近くでかっ飛ばす。
RC_D2X0040

 ウードナダッタでこの道を離れ、牧場の中のステーション・トラックを進む。アウトバックはその多くがリース権牧場として使われていて、国道・州道はじめあらゆる道が牧場の中を通過する。ステーション・トラックはいわば地元の生活道路であり、一部を除いて誰でも走ることができる。ただし道路の状態は保証されない。

 だんだんと道幅も狭くなり、轍を頼りに走る区間も多くなる。原住民であるアボリジニのコミュニティであるフィンケからは、かつての鉄道の跡を行く。ここまで来ると道路はオレンジ色になる。細かいパプリカの中を走る、といえば分かってもらいやすいだろう。

 当時の機関車に水を補給するための駅であったブンドゥーマの赤く錆びた給水塔の下で初のブッシュキャンプをした。満点の星の下スワッグ(マットと一体化した小型テント)で寝るという、最高の贅沢ができるファイブスター級のキャンプであった。

(左)チャンバーズピラーに向かう最後の長いストレートダートを走る。フラットで固くしまった路面なので時速100㎞での高速走行が可能。
RC_D2X0360砂丘列をひとつ超えるとその先にはまた延々と続く直線の砂の道が現れる。いったいどこまで続くのか…。

RC_D2X0442シンプソン砂漠横断コース最大の難関である高さ40mの大砂丘「ビッグレッド」に挑戦する。BJ41Vは1回目で軽々とクリア。HJ61Vもタイヤの空気圧を最大に下げて越えることができた。

RC_D3S6882こぶし大の岩が敷き詰められたストーニー砂漠。

RC_D3S6963途中の補給は限られてくるので、必要な分量だけジェリ缶で燃料を携行しなければならない。

RC_D3S6997ブンドゥーマでのブッシュキャンプの夜。天の川の端に南十字星が見える。毎日こんなきれいな星空の下、スワッグを広げて寝る。最高の贅沢だ。

####シンプソン砂漠に挑戦####
 砂漠の墓標岩とも呼ばれるチャンバーズピラーを経由してアリススプリングスへ到着した一行は、ここまでのダートを走ってきての車の状態、補給物資の積み方などを勘案してシンプソン砂漠横断実行の最終検討をした。

 シンプソン砂漠はオーストラリア大陸の中心部、ノーザンテリトリー、南オーストラリア州、クイーンズランド州にまたがるこの国最大の砂漠である。広さは日本の半分ほどの約17万平方㎞。サハラ砂漠に象徴されるような「どこまでも砂丘が続く砂漠」ではないが、南北方向に走る無数の砂丘列で埋め尽くされている。その長さは長いもので数100㎞、高さは30m近くに及ぶ。風向きの関係から砂丘列は西側がなだらかで東側は急になっている。そのため多くのパーティは西から東へ向かう。西側の最終補給地点であるマウントデアーから東のバーズビルまで約600㎞。補給はできないし、故障しても自分たちで何とかして進むしかない。東京〜大阪間の砂の道を、四駆に乗って無補給で進むイメージである。普通であれば3日間でクリアするが、万が一を考えてそれ以上持ちこたえられる用意をしておかなければならない。

 砂漠を越えたいという意思が不安を上回った。3台の予備の燃料300リットル、5人の水150リットル、食料1週間分を各車に振り分け、アリススプリングスを後にした。

 砂漠の入口に当たるダルハウジースプリングでは蚊の大襲撃に会い散々な一夜となったが、気を取り直していよいよ砂漠へと入る。この日の気温は40度を超した。猛烈な暑さだが乾燥している。昼のサンドイッチのパンが、見る間に乾いてカサカサになっていく。

 シンプソン砂漠の横断ルートは、毎年12月から翌3月までは閉鎖される。あまりの高温のため危険だからだ。今年も1カ月ほど前に再開したばかりだ。そのためか風紋で道が隠れてしまっているところもあった。最初は戸惑った砂丘列の横断も徐々に慣れてくる。4Lの2速で助走をつければほとんどはクリアできた。

 午後遅くから雲が出てきた。今夜の南十字星は望めそうもない。17時、160㎞走った地点でオーバーナイトとなった。

 翌日はなんと雨になった。想像以上の灼熱の次は、砂漠の雨。想定外の連続だ。道の表面は雨でしまっているが数センチ下はいつも通りのフカフカの砂。それでも断然走りやすい。この日の午後、どうしても乗り越えられない砂丘に遭遇した。ウインチで引っ張りあげようとするもダブルスタック。その時「空気圧下げようよ」という声が。1.5㎏ほどに下げてトライしたところ、見違えるようにタイヤが砂に食いつき、登りの途中からでもトラクションが得られるではないか。「昨日から下げておけばよかったね」と一同反省。マウントデアーで最終の給油をするときに忠告されていたにも関わらず、みんなエンジンを目いっぱいぶん回して砂丘を無理やり乗り越えることに熱くなってタイヤ空気圧のことをすっかり忘れていたのだ。冷静さを失うことは怖い。

 雨は止まず、車の間にタープを張り渡して2日目のスワッグを設営する。このまま降り続けると予定通りにはバーズビルにつけない恐れも出てくる。

 3日目の朝、雨は止んでいた。この日は気温も27度どまりと過ごしやすい。3州が1点で交わるポーペルコーナーを通過してクイーンズランド州へ入る。砂丘列は間隔が広くなり、その高さも高くなってくる。雨で走りやすくなった道を、順調に距離を稼ぐ。

 午後3時前、砂漠横断のハイライトであるビッグレッドに到着した。これはコースの東端、バーズビルの町から40㎞ほどの地点にある大砂丘である。高さは40m、クレイパンを走ってきた我々の前に大きく立ちはだかる。HJ61が先陣を切るが途中でストール。数回のトライの後、BJ41に譲る。なんとヨンマルは1度でクリア。バーズビル側からやってきた観光客たちからも拍手喝采を浴びる。ロクマルだって負けてはいられない。助走を目いっぱいとって果敢に挑戦、当然クリアである。3台ともビッグレッドを制覇して全員満足顔。残りバーズビルまでのダートを快走して砂漠横断は幕を閉じた。
RC_D3S7131どこでもこんな大写真が撮影できてしまう。アウトバックはどこまでも広い。

RC_D3S7202アウトバックの道を走っていてゲートに出くわした場合、ゲートが閉まっていたら開けて通ることができるが、必ず閉めていくことを忘れてはいけない。牛の移動をゲートで管理しているからだ。

RC_D3S7542砂丘を駆け上るHJ61V。まだ空気圧を下げることを忘れていた時で、エンジン全開モードだった。

RC_D3S7590砂丘と砂丘の間のクレイパンと呼ばれる平原でキャンプをする。スワッグを広げるだけの簡単な設営だから数分で完了する。

RC_D3S7771雨でしまった砂丘を下りる。軽量小型のBJ41Vは、さすがに砂丘列の上り下りに有利だった。

RC_D3S7932勢いよく上ったはいいが、その先でミスコースして砂に突っ込みスタックしたBJ41Vをウインチで引っ張り出す。

####毎日が驚き####
 初めてのオーストラリア、それも自分の車でアウトバックを走る。いきなりのダートで話には聞いていた「洗濯板」道路に驚き、その上を走る地元の車の速さに仰天。さらに進めば真っ赤な小麦粉をまき散らしたような道の色にまた驚かされる。夜は満点の空、天の川の端に輝く南十字星にうっとり…。毎晩そんな星空の下、スワッグで寝るという最高の贅沢。

4月28日現在、一行は西オーストラリア州のブルーム付近を走っている。旅は後半戦、まだまだ続く。
RC_D3S8249ビッグレッドを制覇した2台。念願のシンプソン砂漠横断が成就した。